自分の話、徒然なるままに・・・
私は、ADDでアスペルガー傾向がある人間で、常に気をつけて生きていかなくてはと思っていたのですが、
あるときふと思ったのが、
「きっと、自分でない何者かになりたくて、ずっとバランスの悪さを生み出し続けてきたのではないか。」
ということ
「そして、自分でない何者かを手放して、自分に戻れば、バランスは自ずと戻ってくる。」
ということ
潜在意識も含む、全人格的な存在である自分が現実をつくっているのですから、それはできるのです。
目の前の “嫌なやつ” の問題として感じるのは、そこに自分自身の課題が隠されているから。
乳幼児期の育ち、発達の課題をどのようにクリアしてきたか、ふり返り、解決する必要があるときもあるでしょう。
心理学が発達してきた所以です。
根がまじめで努力家だった私は、たくさんの努力をしました。
修行系のガンバリが大好きで、修行僧のようだった一瞬もあったと思います(笑)。
そして、必要以上の責任も感じてきました。
それこそ、自分にどういう落ち度があっていじめられるのかと悩み続けたり、911が起こったのも、311後の原発事故が引き起こされたのも、自分が悪かったんじゃないかという・・・(爆)
必要のない罪悪感を浄化し、自分が透明になってしまえば
クリア出来ることってたくさんあると思います。
どうやら、人間界にはレベルの違いが存在します。
日本社会の成熟度は、ブータンやオランダ始めとする諸外国にくらべ、まだまだという部分があります。
私が幼児期の教育をライフワークにしたいと思うのは、いじめや、見て見ぬふりが温存される社会からの脱却をめざし、人と人との間の信頼感と、自分自身への自己肯定感を養ってほしいが為です。
障碍者や福祉に支払われる税金に対して否定的な発言をしたり、発達障碍への偏見をもち、さまざまな分野で差別的な見方をする方がいらっしゃいます。
感じるのは、結局のところ、ご自身の障害性や人間性の欠落に気付かず
ご自身の問題を投影なさっているにすぎないのでは・・・ということです。
意識・無意識レベルで感じていると思うのですが、
何世代にもわたるDNAの歴史をひもとけば、すべては繋がっています。
非次元の悟りとか、完全にいまここにある状態をめざしたいと思います。