ヒルデガルト・フォン・ビンゲンーその1


Viriditas(ヴィリディタス)=(みどりのもつ潜在力といった意味)という言葉を生んだことから、

ホリスティックヒーラーであり、ドイツ薬草学の祖とされている

ヒルデガルド・フォン・ビンゲン(丘の上に住むヒルデガルド)

最近になって、やっと私も、「ナマケモノ倶楽部」が運営する「スローシネマ ムーブメント」の作品にもなっているヒルデガルドの映画 みどりのよろこび

をじっくり鑑賞する機会に恵まれ、

ヒルデガルドフォーラムジャパン代表の平垣美栄子さんから、直接ヒルデガルドの4つのエレメントについての講義を受けることができたのでした。

まずは、ヒルデガルドについて、この映画の作品説明が、大変よくまとまっているので、引用させていただきます。

 

ヒルデガルト・フォン・ビンゲン Hildegard von Bingen



中世ドイツのカトリック教会ベネディクト派女子修道院長。神学者、預言者、作家、詩人、作曲家、戯曲家、言語学者、画家、建築家、治療家など多くのの分野で才能を発揮し、多くの功績を残した。ヨーロッパにおける自然医療の祖、フェミニズムの先駆者としても知られる伝説的な女性。

1098年、神聖ローマ帝国のドイツ王国、ライン川沿岸のベルマースハイムで、地方貴族の10番目の子どもとして生まれた。8歳の時、ベネディクト会の修道女ユッタに預けられ、ディジボーデンベルク近郊に移り住む。14歳の時、ディジボーデンベルク修道院の小さな庵に居を定め、正式に修道女となる。ユッタの教育のもと、修道会の規律や伝統、学問、芸術を学び、人格と教養を高めていく。

ユッタの死後、ディジボーデンベルク女子修道院の院長に就任。後に、ライン川の河畔ビンゲン近郊にルーペルツベルク修道院を、ビンゲンのライン川対岸にアイビンゲン修道院を創設・建築。多くの女性たちを惹きつけ、修道女として導き入れた。修道女たちには共同体における規律や労働、聖務に関する教育を与え、聖職者の生活水準の改善にも献身した。修道院には悩みを抱えた多くの民衆が、心の平安や身体の治療を求め、押し寄せたと言われている。

“ヴィジョン”と呼ばれる視幻体験を通じて神の啓示を受け、それを神学的・哲学的著書『スキヴィアス』、『生の功徳の書』、『神の御業の書』の3冊に書き上げた。また、植物、樹木、動物、(宝)石、鉱物など、全512項目にもおよぶ自然界の事物の薬効や利用法が記された自然学・博物学書『フィジカ — 自然学』、心身の病気の原因や治療法を500項目以上にわたって解説した医療実践書『病因と治療』を執筆。これらは『自然界の様々な被造物の精妙なる本性に関する書』が2部に分けられたとも言われ、自然学、ホリスティック医学の古典と位置づけられている。

音楽においても、典礼のための聖歌の作詞・作曲や宗教音楽劇を創作。代表的なものに、全77曲の聖歌集『天上の啓示である和声の交響曲』、『セクエンツィア』、宗教道徳劇『神の諸力の劇』がある。ヒルデガルト音楽は、グレゴリオ聖歌の音調に基づきながら、より幅広い音域と美しい響きがあり、天上への賛美や世界と人間の調和が表現されている。歌詞には「リングア・イグノタ」と言う、彼女自身が造った「知られざる言葉」が用いられ、23字の「知られざる文字」の創案にも努めた。

ローマ教皇や神聖ローマ帝国皇帝といった、当時の宗教的・政治的権威の双方から預言者として認められ、文通を交わし、庇護されていた。聖書の新たな解釈研究や、堕落した教会の改革を推進、聖職者階級やあらゆる権力者たちに戒めの声を発し続けた。60歳から73歳までの間には、ドイツ王国のマインツやケルンなどに出向き、都市の大広場や大聖堂で説教を行った。

晩年の1178年、教会を破門された見知らぬ貴族を、ルーペルツベルク修道院に埋葬したことで、マインツ司教座聖堂参事会員から聖務禁止の令を受けた。厳格に法に固執する聖職者たちと烈しく交渉を重ね、翌年の1179年、マインツ大司教からこの禁令は解かれた。同年9月17日、修道女たちに看取られ、ルーペルツベルク修道院で81年の生涯を閉じた。自らを「取るに足らない無学の女」と呼び、病弱でありながら、終生活力的に生き、その信念を貫いた。

1979年、死後800年を記念して、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世から彼女を讃えるメッセージが寄せられた。2012年、教皇ベネディクト16世の際、カトリック教会から女性として史上4人目の教会博士の称号を受けた。

 

 

 


コメントは受け付けていません。

サブコンテンツ

このページの先頭へ