インド哲学 と ギフトでめぐる経済


インドの2大叙事詩の一つ、ラーマーヤナ

古代食を未来食と呼ぶ人がいるように

私たちは古きものの中に、未来を予言するようなメッセージを見つけることができます

 

ラーマーヤナについて、私は、これまで、アニメを見たり、

断片的に見聞きしたストーリーで知るのみなのですが、

日本の桃太郎の物語の元になっているとか

「天空の城ラピュタ」のイメージがここから来ているといわれています

ラーマーヤマ

サンスクリットで書かれ、全7巻、総行数は聖書にも並ぶ48,000行に及ぶ。成立は紀元3世紀頃で、詩人ヴァールミーキが、ヒンドゥー教の神話と古代英雄コーサラ国のラーマ王子の伝説を編纂したものとされる。

この叙事詩は、ラーマ王子が、誘拐された妻シーターを奪還すべく大軍を率いて、ラークシャサの王ラーヴァナに挑む姿を描いている。ラーマーヤナの意味は「ラーマ王行状記」。

<Wikipedia より>

行き過ぎた資本主義の、弊害が顕著な現代社会
そして、
脱資本主義後の、目覚めた人類が創造する未来

 

インド哲学の理想郷の中に、

ギフトでめぐる経済が見えた気がしたのですが

 

なぜか?

 

物語は、アヨーディヤ国(A国)の王子ラーマが、

邪悪なラーヴァナを倒し、誘拐された妃シータを取り戻すなど、

様々な使命を果たすというもの

 

その、ラーマーヤナの内なる意味とは?

 

ラーマの父、A国のダシャラタ王の一族は太陽族。

ダシャラタの意味は、「十の方向に同時に戦車を操ることができる者」

すなわち、太陽族の王は、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚の5つの感覚器官

5つの行動するための器官=両手、両足と舌に 

一切操られることがなかったそうです。 

つまり、煩悩に煩わされることがなかったということですね。

 

余談ですが、日本でも、神道の祝詞のなかに「六根清浄の大祓」というものがあり、

また釈迦の教えを、山伏修行者が「・・・、六根清浄、・・・」と

五感と意識を清浄にして正道を進んでいけるようにと唱和します。

 

さて、その太陽王のもとに誕生したのが、ラーマ王子です

実は、ヴィシュヌ神の生まれ変わりであったといわれています

 

対する鬼退治の鬼ヶ島:ラークシャサ国のランカは、魔王が住む城下町です

ランカは、豊かな文明国で、人々は快楽に溺れ、争いごとが絶えません

この地を支配する魔王、ラーヴァナは、

10の頭、20の腕と山のような巨体の持ち主。

ラーヴァナは学者で、識者で、財力、知力、物質的なあらゆる力を備えていました。

 

この鬼征伐の内なる意味とは?

 

梵天ブラフマーからの特権を与えられたラーヴァナは

ラーマに滅ぼされるとき

「私は、3つの世界を征服し、あらゆる聖典を暗記し、知的に私に勝る者はいない。

だが、私は高慢さの故に得たものをすべて無くし、傲慢な心のゆえに身を滅ぼした。」

自分が経験から悟った知識を戒めとして後人に伝え

天界の聖者によって、ラーヴァナは結局、聖人となることができたといいます。

 

すべてを壮大な宇宙神のもので許そうとするインド哲学

寛大な思想です

さすが、ガンジーを生んだ国!!!

 

インド哲学に見る理想郷

 

執着から解き放たれること

エゴからの開放

ハイヤーセルフ的な集合意識の目覚め

 

人類の未来はどこにある?

 

太陽族の住むA国とランカの違いとは、いったい何だったのでしょう?

 

実は、A国とランカは、私たち一人ひとりの内面に展開される世界です

どちらを映し出すかは、わたしたちの意識のあり方次第

 

世俗的な成功を勝ち得たとしても、

正しい判断力のない5つの感覚器官と行動に翻弄されているとしたら、

こころに平安はあるでしょうか?

 

ランカは、暗闇が支配し、人々が夜に移動する町

こころ忙しく、イライラした人々の住む都

暗闇の中には、混乱しかありませんでした

 

内面の世界の王たる自分が、十の戦車すなわち感覚器官の奴隷になることなく

(煩悩に溺れることなく)

太陽の光を呼び込むことができれば

太陽の光の知識が、無知の闇を消し去り

人生のすべてが、明るく美しく清らかなものになっていく

 

そんな理想郷が、完全に太陽の恵(誰にでも平等に降り注がれる自然の大いなる愛)

恩寵である光を享受できる世界

 

清らかな魂を持つ人の住む世界は、

ギフトで循環していく世界に違いないと思うわけです

 

 

豊かになりたいと望むことは良きことです

 

サラスワティは、仏教では「弁財天」、弁天様になります

水を司る神です

風水で水は、豊かさの象徴でもあります

学問と芸術の神でもあり、学び続ける必要を説かれています

 

そして、お金は女神ラクシュミーが司るもの

ラクシュミー神は、富、豊饒、繁栄、幸運、美しさ、正義、と知恵の女神

永遠の美しさと結婚のシンボル

仏教では「吉祥天」です

お金イコールラクシュミーですから、お金は敬意をもって扱われる必要があります。

何事も良くないことがあるとしたら、そればバランスを欠いているからです

 

強欲さは身を滅ぼします

 

太陽が燦然と輝く中で、暗闇の中で生きる人多いというのが

現代社会の特徴でしょう

 

人生を楽しむためには、ある一定の法則に従って生きる必要があります

コロナ禍と世間はいいますが、それは実は人類への福音かもしれません

 

自然から学ぶのではなく委ねることも必要

自然の中に神がいます

 

私たちの内なる神を目覚めさせるには・・・

本物のギフト経済を生きるために

私には、まだまだ、学ばねばならないことがあります


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