わたしはあなたが大好きで良き友人でありたい


表題は、わたしの気持ち。


以下は、ナマケモノ倶楽部の辻信一さんのブログからの引用です。


「人とつながるって、どういうこと」という疑問が、頭の中がぐるぐるしている頃、その回答として、こころ揺り動かされ、共感したので、ここに引用させてもらいます。


辻さんのぶらぶら日記の全文も是非、訪ねてみてください。

敵意、争い、けんか、怒り、孤立、寂しさ・・・。これらは人生をあまりに複雑にし、混乱させる。無垢な友情という土台の上につくられたよい関係性は、人生をシンプルでわかりやすいものにする。もちろん、友情とは、単なる礼儀正しさ、表面的な優しさ、そつのなさ、人当たりのよさのことではない。関係とは義務ではない。それはむしろ、存在そのものの基盤だ。関係性と友情は、正真正銘の、根源的{ラジカル}な愛から生まれる果実なのだ。

ラジカル・ラブ

キリストは言った。「あなた自身を愛するように、隣人を愛しなさい」。「あなた自身」という言葉が鍵だ。他者を、自分自身を愛するように、愛する。そこにほのめかされているのは、人を愛することができないのは、自分自身を愛していないから、ということ。他者というのは、自分の延長に過ぎない。自分を愛することはわがままではない。自分を愛せない者が、どうやってだれかを愛せるだろう? 自分がその人に愛されることを期待できるだろうか?

ありのままの自分を受け入れることと、その自分を愛することなしに、ありのままの他者を受け入れ、愛することが可能となる。これが「あいだ存在{インタービーイング}」のありようだ。私たちはみな相互に依存しあう存在。お互いどうしからできている。だから、自分を愛するということは他者からの分離や孤立を意味しない。

自己愛{セルフ・ラブ}はうぬぼれ、傲慢、我欲とは関係ない。利己的な「私」だけがその周りに壁をつくる。名声、人気、評価を求め、特権や権力、支配を求める。

土(ソイル)が果実や花や食べものの源であるのと同じように、魂(ソウル)は知性、想像力、愛、共感を育てる土壌である。土は、その一方で、雑草やとげなど、ザラザラで、ゴツゴツで、ギザギザの、不快に感じられるものも生みだし、魂は不安、悩みや苦しみを生む土壌ともなる。私たちはそのすべてを受け入れ、そして愛によって変容させなければならない。自己愛、隣人愛、人間愛、そして自然への愛は、切れ目なく連なっている。自分自身にもほかの人々にも親切であろう。だれも苦しまなくてすむように。これが「ラジカル・ラブ」、世界を変える愛だ。

ラジカル・ラブ。それは「愛する人がほしい」ではなく、「愛する人でありたい」。「愛している」と言うとき、あなたは無条件の愛を差しだしている。

以上、無限の愛 サティシュ・クマールの言葉より、「友情、それは存在の基盤」からの引用でした。

インドの聖典であり2大叙事詩の一方、「ラーマーヤナ」については、以前に私もブログにアップしましたが、最近、私の敬愛するホメオパス獣医師 森井啓二先生が 神の詩「バガヴァッド ギーター」についての、読み解きをはじめました。楽しみです。


コメントは受け付けていません。

サブコンテンツ

このページの先頭へ