里山の断片の記憶、思い出にはしたくない・・・


A course in Miracles のワークに取り組みたいと思ったいるが、なかなか実行に移せないでいる。

Judgment will always give you false directions, but vision shows you where to go.Why should you guess?
判断は常にあなたに間違った道を与える。でもビジョンはあなたが行くべき道を示してくれる。なぜ憶測する必要があろうか?

このことを心から体得したいと思っている。

私自身は、宗教とは縁のない人間だが、昨日、都市計画道路が途中まで出来あがった道路近くの西国分寺教会の牧師の方と話す機会を得て、近隣に同士を得たりという感じだった。

豊かな自然の美しさの前に、心から自分を大切に思えるとき、私たちは、どんな環境を自分自身のために保全してゆきたいと思うだろうか?

住民投票でその是非が問われた小平市の東京都の都市計画道路は、この美しい江戸の産業史跡・玉川上水を貫通し、貴重な雑木林を消失させる。四季を通じ、散策、野鳥観察、昆虫採集が楽しめるこの美しい自然。

壊すのは簡単でも、人間に力で、そう簡単に再生でれるものはない。

雑木林の大木にかけられたロープやハンモックは、定期的に子どもの冒険遊び場ともなり、福島の子どもたちの一時保養の場ともなった。

親も子どもたちも、夜の闇も空間も、素敵な仲間たちのたまり場。自然も人間もすべてが大切にされるプレーパークでは誰もが遊べる。

若い世代が確実にこの自然に育てられている。私が少しは全うな大人になれたのは、この自然が、大人社会に感じた矛盾や、世の不条理を癒してくれたから。

心のよりどころが、失われてゆく。民主主義が形骸化している今の日本に、いのちを育む公共性、将来に向けての対話、持続可能な未来は存在するのか。身近な里山の自然が失われていくのが、残念でならない。


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